icuniicuの長いツイート

どうも、@icuniicuと申す者です。Twitterに書きづらいツイートをもっと自由に呟きます。

休学して、謙虚に自信をもつことができた話

お久しぶりです。農業系男子です。

f:id:ilohaspeach:20180902222311j:plain

 

謙虚と自信の融合

休学して、自分、謙虚になったなぁと思います。

ちなみに、僕、英語めっちゃ得意です(謙虚さとは?)。

 

「僕、英語めっちゃ得意です」

僕のいた環境は英語が当たり前だった

僕の通っていた国際基督教大学は、英語教育が盛んです。バイリンガルが沢山います。そして僕は昨年、オランダに10ヶ月留学していました。大学でも、オランダでも、そんなに英語は得意な方ではありませんでしたが、それでも英語は日常で普通に使うものでした。

ずっとそんな環境にいたので、英語を使うのが当たり前という感覚がありました。日本に戻ってきてからも、英語で欲しい情報を検索することが多いです。日本語で調べるよりも質の高い情報が手に入ることが多いので、とても便利だと思っています。

 

田舎暮らしで、英語が使えて、重宝された

そして、今、休学して田舎生活をしています。5~6月は山梨に、7月~大船渡です。

山梨のシェアハウスでは外国人がよく滞在しに来ており、僕は彼らと英語で会話していました。英語が喋れるので、日本人との通訳をしました。すると「ペラペラだね!通訳完璧だね!」と言ってもらえました。僕の周りにいた日本人のほとんどが、そういう評価をしてくれました。

そんな評価を受け、僕はとてもショックでした。なぜならその時僕の喋っていた英語は実はとてもたどたどしく、下手くそだったからです。でも、そこで気づきました。「この程度の英語を使うのって、彼らにとっては当たり前じゃないんだ!むしろ英語を話すこと自体が凄いことなんだ!

そのとき、僕は、自分の英語力がめちゃくちゃ高いことに気づきました。自分の大学では下手くそでも、オランダでは下手くそでも、日本人の中ではめちゃくちゃできると分かりました。

 

自分の英語力を知って、逆に辛くなった

僕は無力感を感じました。僕はシェアハウスの日本人に対して「英語は便利だし、外国人と話せたりするし、絶対練習した方がいいよ!」...とは言えませんでした。 彼らと僕とでは環境が違うからです。そして環境ってどうしようもないものだったりするからです。

まず、僕は国際色の強い大学に通わせてもらいました。両親は英語を話せました。高校で短期留学をし、大学では2度留学し、合計1年以上海外に住みました。こんな環境で育つと嫌でもある程度話せるようになります。そう思うと、僕のした努力なんてとってもちっぽけです。ちょこっと努力すれば話せるような環境でした

でもそういう環境が用意されていない人にとって、英語のハードルは物凄く高いように思えます。環境の整っていた僕でも苦労したことを、環境が用意されていない人がやるなんて、想像しただけで辛くなります。

 

恵まれた環境に気づく

今までは自分の英語力について、自分の努力の成果だと思っていました。僕が頑張ったから手に入った知識だ、僕の勉強量が多かったからだ、僕が学生時代の青春をエンジョイする代わりに、僕が他の人よりも勉強したからだ。でも、それって全然違うなと今は思っています。

下らない遊びを友達として、何の役にも立たないテレビ番組をみて、それでも余りある時間があって、学習環境が整っていたからこそ今の自分があります。僕は自分が必死で頑張ったわけではなく、そこにあった環境で利益を得ていました

 

まとめ

僕の英語力は、日本人の中ではとても高いと思います。しかし僕自体が凄いわけではありません。ただ環境が良かった、運が良かっただけです。僕は自分の運の良さを知り、以前より謙虚になりました。一方で自分の英語に一層の自信を持つことができました。

 

しかし、僕は本当に運がいいのか?

僕は英語が話せることがあたかも良いことのように書きました。しかしある人からこう思われるかもしれません。

「今は英語よりも中国語の時代だ。英語なんて話せたってなんの足しにもならん。育った環境のせいでおかしな教育を受けてしまったのだ」とか「大学なんて無駄。勉強するよりも、早く働き始めることの方が大事。大学に行ける環境があったせいで損をしてしまったのね」とか。

僕は英語を話せることをアドバンテージだと思っていますが、他の人からみると、ただ損しているだけに見えるかもしれませんね。そう思うと逆に少し安心できます。恵まれていないと思うと、逆に安心する現象です。